つまり私は正しい

ただ思ったことを思ったままに書き綴るだけであってそれ以上でもそれ以下でもないただの日記

東京の息苦しい閉塞感と他者への攻撃性について思うことを書いておく

東京に住むと心が狭い人間になる。

そもそも多くの人は、生き物としてストレスなく生活するだけのパーソナルスペースが確保できないのだ。狭い生活環境は心を狭くする。

毎日満員電車に詰め込まれる有象無象の働きアリのように動き回る人間を見て、精神が病むのかもしれない。だから他人に必要以上に攻撃的になり、偏屈したものの見方しか出来なくなるのは仕方ないとも言える。

コンビニやファミレスの店員などに対しては上から目線の理不尽なクレーム、道端では変なおっさんに絡まれるし、電車では至近距離でまじまじを気持ち悪い視線を向けてくる輩がいる。

妊婦はマタニティマークを引きちぎられるし、ベビーカーで電車に乗ればタクシーに乗れと言われる。肩がぶつかれば喧嘩になり、肩がぶつからなくても喧嘩になる。そもそも席を譲るか譲らないかで喧嘩になる。とてもイライラしている人が多く、人口が多いだけでは説明できないほど都会ではトラブルは頻発している。

そして、そのようなイライラは地方在住の人へも向けられているようだ。

東京に住むほどのメリットはあまりない

この記事を読んだ。とても攻撃的なタイトルである。

地元を出たことがないジモティーが超つまらない理由 - 未来は変えられるの?

地元に留まり続ける地方在住者はつまらない

地元で暮らす「ジモティー」についてつまらないことを長々と書いているつまらない記事だ。

なにか嫌な思い出でもあったのだろうかと心配したが、どうやら著者はスクールカーストの最底辺だったらしい。それでは確かに地元にいることはつまらないだろう。

地元がつまらないのではなくスクールカーストの最底辺だった著者が地元での生活をつまらないものにしていたと言える。カーストから逃れるために上京せざるを得なかったと考えると涙腺が緩んでしまいそうになる。

が、少し主語が大きすぎるのではないだろうか。自分の周りだけの人間を全てのジモティーの枠にはめてスカイツリーの展望台ほどの上から目線で批判するのはちょっとどうかと思う。登るのは観光の時だけにしておいてもらいたい。

地元を出たことがないジモティーが超つまらない理由 - 未来は変えられるの?

つるむ人が決まっていて、視野が狭い

おそらく「ジモティー」のつるむ仲間に入れなかったのだろう。東京に出てまでも、地元に対して批判を続けている。それでは視野が狭い。

恐らく地元の人たちは東京の暮らしなど見向きもせず、地元暮らしを満喫していることだろう。もしかしたら…だが、著者は東京に出たことで自分が優れた人間になったと勘違いをしているのかもしれない。面白いのは東京であって、個人ではないのだが。まずは地元を忘れて広い世界に目を向けてみてはどうだろうか。

そもそも地元で暮らしている者は、東京の暮らしなど興味は無いし地元で生活することに十分満足している。満足していないなら上京するまでのことだからである。新幹線で数時間もあれば東京・大阪には辿りつくもので、都会で暮らすハードルはとても低い。住みたければ行くし、暮らすメリットが無いならわざわざ行かないだけの話である。

月並みな表現になりますが、世界は広いのですよ。

 狭い日本という枠組みの中で「世界は広い」とか言われても、その…なんだ、困る。

「ジモティーが超つまらない」かどうか以前の問題。|センターサークルのその向こう―サッカー小説―

「地元を出たことがないジモティーが超つまらない理由」とか言ってる人そのものが実は価値観の押し付けをしているんだけど、だぶんそれがわかってない。

おそらく、著者はスクールカーストに虐げられた過去を東京に出たことで反転したかのように錯覚し、上京した自分が優れていて地方民が劣っているように振る舞うことで自己を肯定したいのではないだろうか。

しかし、それはそのまま自分の周りの「ジモティー」に言うべきで、全ての地元で暮らす人にまで話を拡げるとこういう言及をされる。虎(東京)の威を狩る…

レペゼン東京・プロブロガー()である。やれやれ。

狭いスペースは心を狭くする

言及の記事に限った話ではないが、視界に入る人間を否定的な視点で描くことが都会に住む人間の中では多い。なぜこのようなことが起こるのだろうか。その原因はパーソナルスペースによる影響が大きい。

地元に住む者の多くはマイカー通勤で、満員電車に揺られることもなければ、ご飯を食べる為だけに長時間並ぶことも無い。どこへ行っても肩がぶつからずに歩けるし、住む場所に関しては一人暮らしでも1LDKくらいの広さは十分にある。「断捨離!断捨離!」とヒステリックにならなくても、実家の倉庫なりクローゼットに収納して余りある暮らしが出来る。

それに比べて東京はどうだろうか。食事は並んで他人と相席で牛丼の並盛を頬張り、満員電車に揺られ、狭いワンルームに帰るだけの生活を送る人も少なくないように思う。そういう人間は大抵他人に寛容になれず、自分より劣っている対象を探すことに躍起になっている。ストレスが鬱積している典型的な症状だ。

もちろん東京でも、他人に寛容になれる人間はいることを付け加えておきたい。広々としたタワーマンションに住みマイカーを持ち、並ばなくても食事が取れるような人はあまり人と比べることはしないし、必要以上に他人を攻撃しない。ストレスが溜まっていないからだ。これはただ裕福だからという理由ではなく、パーソナルスペースが十分に確保されている為である。

田舎暮らしで決して裕福な暮らしと言えない人でも、東京人と比べるとマウンティングをしたがる人は少ない。スペースという点において生活環境は悪くないからだ。このことからも狭いスペースは心も狭くすると言える。狭い生活空間で心の余裕も無くなるのは生理的なものでしょうがないと言える。

東京人全てが心が狭いという訳ではない

この記事も読んだ。

「地元を出たことがないジモティーが超つまらない理由」について - あけすけビッチ! かんどーのあばずれ日記

わたしはその苦悩の末の、諦めたような笑顔の奥に強さを感じます。そして彼らは東京で働く人のことをわるく言わないことが多い。
「あくせくしてて大変じゃないか?」
と優しく聞いてくれます。そういうマナーみたいなものも持っているひとが多い。
わたしが伝えたいのは、地方の人と一緒に仕事をしてみて、もちろんいろんな人がいるけど、情に厚くて、地元を裏切らないまっすぐな人が多いということなんです。
わたしはなぜか人として、彼らのことが好きなのです。東京で「田舎のここが良くない」と並べる人より、地元ですべて受け止めている人の方に強さを感じる。

とても素晴らしい見識を持っている方と思う。おそらく狭い生活空間に身を置いていないことだろう。心の余裕と思慮深さが文章から読み取れる。こちらの著者も東京在住のようである。

私は東京に住む人や今回取り上げた記事について、悪く言っているつもりは毛頭ない。生活環境によって人の心はストレスを鬱積し、他者に対して必要以上に攻撃的になる危険性について思うことを書いているだけである。

「東京人はつまらない」ということもないし「地方に住めよ」とも言わない。東京に住む人のことを可哀想と思うことはあっても、憎む気持ちや蔑む気持ちは微塵もない。

そもそも東京も地方もただの土地であって個人において優劣つけるものではない。

他者への排他的な思考を持ち合わせている都会人は、一度自身の生活環境について考えてみた方がいいのではないだろうか。